お気に入りの書籍紹介『近代の呪い』
こんにちは、Gaji-Labo 山岸です。Gaji-Labo Advent Calendar 2014、4日目のエントリです。
本日ご紹介するのは、『近代の呪い』。著者の熊本大学での講義をまとめたものなのだそうで、「近代」について語られています。
自立的民衆世界が解体された近代
著者は近代の成立要件を「自立的民衆世界の解体」と「知識人の出現」の2つで定義しており、「社会の福祉化、人権化・衛生化が進むにつれ、個人は国家や社会の管理を受け入れざるをえなくなり、増大する国家の管理機能に従属してゆくことで民衆世界の自立性が失われた」といった内容が出てきます。
現代日本の制度の中で暮らしていると、国という単位や在り方が当たり前のように感じてしまいがちですが、個人と国の関わり方について改めて考えさせられます。
また、「国家の管理機能のためには、専門家が欠かせない。ここで言う管理とはケアの供給であり、人間がケアによって満たされるニーズによって表現される存在になった」とも述べられています。
よってたかって指導され助言され世話を焼かれることに私たちは慣れ切っていて、そのようなケアのすべてをスムーズに提供できない政府は、民衆によって倒されることになっているのですから。
自分の生活の隅々までを自分ひとりの意思で決定できる時代ではない。権力に民意を反映させるにも、専門家を介する必要がある。そう考えてみると、今までとは違った見方が数多く存在することがわかります。
呪いを自覚して、どう生きるのか
この本を読むにあたって、人それぞれ納得や共感できる部分が違ってくるとは思いますが、私は会社を経営する立場にある人間として、管理すること/されることの是非にフォーカスした部分が大きかったような気がします。
以前、個人ブログの方で「整備されすぎると個が弱る、と彼女は言った」というエントリを書きました。働く環境での管理機能をどこまで整備するかというのは、会社の仕組みを作る側の立場として、今後ずっとついて回る命題なのでしょう。きっとそれは職場環境に限らず、家庭でも地域でも社会でも同じことが言えるのだと思います。
知識人ぶったり偉そうぶったりして高いところで旗を振るような在り方は、何か違うんじゃないか。それは自分の目指すところではない。そういう思いがずっとあります。じゃあどうしたらいいのか。自分の手の届く範囲で何ができるのか。呪われているというならば、それを背負いながらどうやって生きていくのか。
そんなことを日々考えながら、自分の活動に精いっぱい投影したりしています。
人間の領域
最後に、もっともシンプルで印象的に響いた一文をご紹介します。
もっとも原始時代から、人間がここぞと思うところに一本の柱を建て周りに円を描いて、ここは人間の領域だよ、キツネの領域でもなければタヌキの領域でもないよと宣言することが、都市の始まりであり、文明の始まりでもありました。
2日目にご紹介した『進化するアカデミア』で「立場や領域は壁ではない」ということを書きましたが、人間は放っておいても自分の領域を規定する生き物なのだと思います。
それをどう開いていくのか。つながっていくのか。それは1日目にご紹介した『地域を変えるデザイン』などにもヒントあるのではないでしょうか。
いくつかの本を並べてつなげていくのも、楽しみのひとつですね。