お気に入りの書籍紹介『森林の思考・砂漠の思考』
こんにちは、Gaji-Labo 山岸です。Gaji-Labo Advent Calendar 2014 19日目のエントリです。
今回は『森林の思考・砂漠の思考』という本をご紹介しようと思います。
前半部分の読み物としての面白さがおすすめ
『森林の思考・砂漠の思考』はかなり古い本で、初版が出ているのは1978年。自分が生まれるより前にまとめられている本なので、第五章以降で出てくるデータや研究内容についてはすでに過去のものになっているのだと思いますが、第一章から第四章までの前半部分が面白いです。
本書では、物の考え方が森林的思考と砂漠的思考の二つに分かれるという仮定が前提になっています。そして、その無意識の世界観に支配されて、人びとの日常の行動が規定されているといいます。
科学的であるかどうかは私にはわからないし、正直それはどうかなぁという箇所もあるにはあるのですが(そこは時代背景が大きく変わっているせいかもしれません)、二つの思考の対比が読み物として大変興味深いと思います。
森林的思考と砂漠的思考
私たち日本人は、森林的思考がベースにあるといいます。
さて、如来の大きさと個人の小ささとの関係から、論理的に、人間の判断を無とすることは、より一般的には、森林地帯における人間の思考のうちのひとつと考えることができる。 生の恵みの豊かな森林のなかにあっては、人間は道に迷うことによって、かえって、桃源郷に至るという世界であり、そこでは、人間の判断は、かえって愚かであると考える余裕のある空間である。
一方、砂漠的思考は以下のような特徴があります。
その砂漠的性格というのは、砂漠では、物事をはっきり分けるということに由来する。すなわちAであれば非Aでないと考えることであり、それは、砂漠では、ある道が水場に至る道であるか、そうでないか、どちらかであると常に二者択一的に断定せねばならない状況から生まれた思考方法であると思う。
それぞれの特徴から、森林の思考ではミクロの分析に長け、砂漠の思考ではマクロな判断に長けているといい、物事の存在証明に関しても本質的な違いがあるのではないかと述べられています。
また、円環的世界観と直線的世界観の対比も面白いです。森林の世界観では、木が生長して朽ちて土に還り、また新しい芽が出てくる様子から、輪廻転生の概念と円環的世界観が成立します。それに対して、草も木もなく死んだ動物が骨になるだけの砂漠では、世界は天地創造にはじまって終末へ向かって一直線に進行します。
そうした世界観から、キリスト教や仏教の流れにつながっていくのですが、現代の日本では思考が砂漠化しているという話などもあって、なるほどと思わせてくれます。
私たちにとっての「わからなさ」
本書で出てくるそれぞれの世界観を見ながら、私たちにとっての「わからなさ」ってなんだろう? と考えたりもします。森林的思考では物事をはっきり分けず、わからないことをわからないと言う性質があるといいますが、
アンケートに「わからない」と答えている人びとは、「意識の低い人びと」なのではなく、本当は、無意識のうちにも質問者の質問そのものに無言の批判をしているのかも知れない。
このあたりを読むと、4日目にご紹介した『近代の呪い』の中で出てくる知識階級と民衆の間の皮肉な距離感などを思い出します。様々な歴史のエピソードのベースレイヤーに森林的思考・砂漠的思考を引いてみると、またちょっと違った見方ができて二度美味しいのではないでしょうか。
設計やIAなどの仕事をしていると、物事の区別や線引きに悩むことがありますが、たまには「わからなさ」にフォーカスして物思いにふけるのも悪くないな、と思います。