道具・動作の見立てとインターフェースの関わり
もう一昨年のことになってしまうのですが、1年ほど前にHCD-Netのコラムに「道具の見立てから、インタフェースに思いをはせる」という記事を寄稿しました。
コラムの内容は、映画やお芝居の道具の見立てと、現実世界のインターフェースとの関わりについて思うところをふんわりと書いたものです。最近改めてまた同じような内容について考える機会があり、思い出しました。
「見立て」はおもしろい
デザインをするとき「見立て」について考える機会は多いと思います。物理デバイスを作るときでも、画面上のインターフェースを作るときでも、何かしら見立てが発生します。
脱線から話を戻しますと、子どもの遊びだけでなく、様々な場面で見立ては現れます。ジェスチャー、パントマイム、お芝居。道具のどのような機能を用いるために人間がどのような動作をするのか、手に取るようにわかります。観れば観るほどおもしろいものです。
そんな理由から、人間の動作や人間が思わずしてしまうことを観察するのが大好きです。同じように、映画やお芝居、アートなどを鑑賞するのも大好きです。
画面上のデザインでは、スキューモーフィズムのような現実世界を模した様式とフラットデザインのようなシンプルな形で表現する様式のブームが交互にやってきますね。近年ではまたスキューモーフィズム寄りのデザインが見直されているように思います。
私の場合は、モノそのものの見立てて画面に落とし込むというよりは、動作の見立てそのものに興味があるのかもしれません。逆に、デザインされたインターフェースが現実のジェスチャーに及ぼす影響にもとても興味があります。
もっと日常的なところに目を向けると、スマホなどのガジェットがあります。スマホやPCを使うジェスチャーはどんなアプリを使っていてもほぼ同じです。たとえばタクシーを呼び止めるために手を上げるという旧来のジェスチャーは、迎車するためにスマホを操作するジェスチャーに取って代わられるかもしれません。
もし世代が大きく離れた人同士でジェスチャーゲームをしたら、まったく意思疎通できないののがあるかもしれないですね。お掃除のジェスチャーは? 食器洗いのジェスチャーは? 洗濯のジェスチャーは? 考えてみるとおもしろいです。
インタフェースの変化は、道具や概念の見立てに確実な変化を及ぼすものと考えます。これからの遊びやお芝居におけるユーザインタフェース/ユーザアクションの見立ては、いったいどうなっていくのでしょう。そうした変化を悲観しているわけではありませんが、大変に興味があるところです。
職業的興味というよりは、ごく個人的な興味としてそんなふうに考えているのですが、他のデザイナーの方が「見立て」についてどんなふうに考えているのかにも興味があります! もし機会があったらお話してみたいです!
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