デザインにおけるエシカルさが気になる
デザインについて考えるときにエシカル(倫理的)さが気になるなと最近よく感じています。
「エシカル」という言葉は、最近では地球環境保全のエコロジーやサステナビリティにまつわるところでよく聞くようになりました。「エシカル消費」は「地域の活性化や雇用などを含む、人・社会・地域・環境に配慮した消費行動のこと」(エシカル消費とは – 消費者庁)。消費においても、それによる環境や雇用に対してのインパクトを与えることを考慮していこうというものです。
デザインにもエシカルが必要だと私は考えています。デザインがエシカルとはどのようなことか、どうしてそう思うかについて、この記事で私なりに考えて見たいと思います。
選び漏れて抜け落ちるもの
UIデザインでの「選ぶ」の意味 で、デザインは選ぶことであると書きました。設計(=デザイン)していく中で、選ぶことがあり、捨てることもある。インプットした情報を厳選して適切に整理と判断をして、組み立てることがデザインになります。
「情報を厳選して適切に整理と判断」と書きましたが、適切に整理と判断することはどういうことでしょうか。
適切に整理と判断で精査することにより、デザインに必要な情報や要素を選びます。その判断は、機能やサービスの目的やゴールを達成させるためのもので、さまざまな要件や事情を踏まえた上で方向性を決めることです。目的やゴールのための方向性を決めるには、やること・やらないことを選んでいくことでもあります。
選ぶこと自体を、私はデザイナーの倫理に含まれるではないかと考えています。この倫理はデザインの判断において規準になるものです。規準から外れたものは選ばれない、捨てられるものになる。
捨てられるままでいいのか。
サービスにおけるアクセシビリティのことを考えると、UIデザインの中で捨てられたものによって、アクセシビリティを損ねていないかを考えたくなります。あらゆる人々へのアクセスを担保できるようにするには、デザインの考慮に捨ててしまっていはいけないものもあるはず。 だから、選ぶことに慎重でいる必要があると思います。ひとつの目的に向かって方向性を決めることも大切ですが、あらゆる可能性にも配慮して考える必要もある。ミクロにもマクロにも物ごとを捉えて考える必要を、ひしひしと感じます。
デザインのプロセスの中で、課題をシンプルに解決するために、抜け落ちることはなくしたい。ものの優先順位はあっても、まったく考慮しないことは違うと思います。インクルーシブであることはそのようなことでないかと考えます。
エシカルなデザインとは、サービスの提供者の利益だけでなくエンドユーザーや社会の利益になる倫理的な意義が求められるものです。
善悪のような単純な見方をデザインに持ち出すのは難しいですが、UIデザインにおいてはユーザーの利益を考え、排除ではない選択と配慮をもった考え方を持ちたいです。デザイナーはユーザーの使用する状況などあらゆる可能性を踏まえて、デザインの方針を決める想像力や調整力があると思います。それができるからこそ、エシカルな視点を持ちながらバランスを取ってデザインを良い方向に向ける力を、デザイナーとしては磨きたいと思うのです。